たしかめるように

たしかめるように。 絶望の淵に立ちなかを覗くと、そこには、当たり前のようにささやかな日常がありました。私は、世界にとって唯の細胞でありたい。

2017年

2017年、はじまりました。


テレビがない津屋崎宅にて
年末の実感がないまま31日を迎え、
ようやく年の瀬を感じ始めた頃には
気づけばさくっと年を越していました。
「今日」が巡ってきました。

あけましておめでとうございます。


きのうは、
津屋崎で仲良くさせてもらっている人たちと
地域の小さな神社で振る舞い蕎麦を食べたり
108回を超えたあとに除夜の鐘をついたり
25分ほどかけて大きな神社まで歩いたり...

楽しく暖かい年越し・年明けを
過ごすことができました。

寒いからこそ見つけることのできる湯気に
幸せを感じた2016年、さいごの1日。
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2017年

すべては
映り合っていることを
写し合っていることを
より、
一瞬一瞬
手に取りながら

ひたすらに、生きていきたいと思います。
ひたすらに、呼吸し続けたいと思います。

あらゆる栄養を咀嚼し身体に取り入れて、
元気な心身で、
ざくっと明るく歩んでいきたい。

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わたしは
これからの人生で
「一体に戻る」
という感覚をどれほど得られるだろうか。

そう、きっと
「成る」ではなく「戻る」
ような気がしているんです。

そんな感覚が得られるような出逢いを
大切にできたら、重ねられたら、
人生も世界も
この上なく愛おしくなるだろうなぁ

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あまり昨年の総括とか
今年の抱負とかはないのだけれど

新たな1年も顔晴りますので
お見守りを、よろしくお願い致します。




期待と想像


が、
不安を生む

あるいは

呼び覚ます

のだろうなぁ



「いまの自分」
以外を手に入れた瞬間
不安も手に入れたのだろうなぁ

波大



波が大きいことを
涙というのかもしれない

大きな波がくるとき
涙は零れるのかもしれない




心の波



その波は
禍々しいときもあれば
眩しく煌くときもある


前者は
飲み込まれると
攫われて流されてしまう
息苦しくなる

自分を見失って
誰かの手を引っ張り
巻き添えにしてしまう
自分を守る為に
誰かを失うことを厭わない

(結局、自分も失われるのだけれど)


だからできるだけ
平らに
なだらかに
穏やかに在れるように

海を知っていたい。

海から目を逸らさずにいたい。

嵐が原因でも
そよ風が原因でも
鳥の羽風が原因でも

そこに波を立てるのは
海なのだから。

波として現すのは
海なのだから。


もともと満ち引きが
あることも
忘れちゃいけない。



と、呟き続ける。

言って聞かせてさせてみて
いつかできるようになるために。



蜜の味


蜜の味がする

とっても哀しい

甘くてホッとする

とっても苦しい

泣くふりをして
笑っている

残念なふりをして
喜んでいる

とろ〜りとして見えるのに
ドロッとしている

艶やかな黄金は光るのに
なかなか粘くて、動かない

気づかないうちに
捕まる

泥濘のように
這い上がろうとするほど
蜜は
きたなく
絡まってくる

透き通って軽そうだけれど
とても重たい鉛のように伸し掛る




ー 蜜から
解放されるために
必要なことはきっと明確だ。

きっと、明確なのに。



いつか
本当の心で
あなたの幸せを
願える自分と
出逢えるだろうか。

蜜の味で
自分を確かめなくても
すがらなくても
安心しなくても

生きることはできるだろうか。






「常」
まで

わたし を
持っていくことは
月に着陸するほど
難しい


「常」
のなかで

在りたいわたしを
在らせることは
海の底に触れに行くほど
難しい



わかっているにも関わらず
いや、わかっているからこそなのか
あるいは、省みることを忘れてなのか

「常」
でない何かを見て
何かを言いそうになる

言いたくなる。


そんなわたしは 
「常」のそと。



ん?

「常」は
「今」であることを
はたと思い出す。

今の延長
今の積み重ね
そんなことだと思い出す。

常の外にいるわたしは
常の中にいるのだった。

ああ、そうか

だから
難しいのだ。




そういえば
月に着陸したことがある人は
存在しているらしいし

海の底は、海によっては
触れたことがあるのであった。


気が付く、ということ。

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「  きっと、” 朝陽 ” がきれいだ  」

今朝、家の廊下に揺れる花の影を見て
胸が高なった。

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命は、
こんなにも
潤っていて
瑞々しい。

はっとする。


夜を越えて
あり続けていることは
それだけで
涙を流していいほど
尊く
涙を流すまでもなく
息をしている

ということで

どんな時であっても
どんな命であっても
そうである、はずなんだ。


朝陽は、どんな朝にも
昇っている。


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朝陽があまりにも
おおきく
あたたかく
” わたし ” を
包み込んでくれるものだから

頭のうしろで
やさしく
ささやかに
役目を終えて還っていく白い月に

気が付かないでいるところだった。



気が付く、ということ。
ただ、それだけのこと。


ただ、それだけのこと。



本気であれば


本気であれば、行動するはずだ

本当にやりたければ、やるはずだ


行動しないということは
それだけ本気ではないということだ

やらないということは
本当にやりたいと思っていないということだ




そんなことを     仰る
「 先生 」を思い出した。
 





ーーー


お腹がよじれるほど笑い転げた幸せな夜。
気持ちはすでに、来週のその時間へ。
わたしにとっての大きなハードルを越えさせてくれた人たちは、掛け替えのない気を許せる人たち。
「素であれる関係」に救われているんだろうな。


ありがとう、おやすみ