たしかめるように

たしかめるように。 絶望の淵に立ちなかを覗くと、そこには、当たり前のようにささやかな日常がありました。私は、世界にとって唯の細胞でありたい。

訳せない言葉


Timing / タイミング
 
  

最近、よく考える。

あらゆる出逢いや結びつきの
全ては”タイミング”であり
必要な時に必要な何かに(相互的に)
巡り逢うようにできているのかもしれない、と。

小さくとも大きくとも
苦くとも甘くとも
悲しくとも嬉しくとも
影とも光とも、陰とも陽とも

「巡り逢った出来事に意味を持たせ
必要だと捉えることができる自分で在る」
という話なのかもしれない。


そもそも、生きることは
出逢いや結びつきで成り立っている
と、思えてならない。

この世に存在する全てに対して
当てはまる気がしているけれど、
それが真理かどうかなんて
判断を下す・下されることはなくて
(主観的には、どうでもよくて)
ただ「どう捉えるか」が在るだけなのかもしれない。

人間が 、
あらゆるものとの”関係”や”繋がり”の中で
互いに”応答”しあいながら生きる生き物だ
というような特長があるとすれば、
とくに人の一生は
”自分”と ”出逢い”や”結びつき”が重なった
最後の全体像、ただの結果にすぎないのだろうか。


あまりにも
偶然すぎて
途方もなくて
儚くて
虚しくて
運命という言葉に頼るほかなくて
なんだか寂しい。

けれど悲観する必要はない。
と、思う。

とても尊いことだなぁ...
と、感じる。

だってそれだけなんだもん。


きっと、
内的要因(の変化)が
外的要因(の変化)を引き寄せていて
見えない手綱は
結局、自分自身の掌の中にあるのだろう。

価値や意味を見出すのは、
多くの、自分たちなのだろう。
人間以外も含めた多くのものを見て
なにかを感じて、自分自身を動かしていく。



その上で、いや、その下に
何よりも何よりも何よりも
大切にしていたい
色の付いていない根本(だと思うこと)がある。

そのタイミングで巡り合ってくれた
存在してくれた、意味の器になってくれた
何か、相手に対する、
敬意を忘れないということ。
感謝を忘れないということ。

自分が引き寄せた
意味をもたせた
運命だから
偶然だから
なんて言葉たちで
根本を忘れ
勘違いを起こした段階で
今まで話した全ては崩れ落ちる。

引き寄せた、かもしれない。

しかしそこには、
巡り合わせてくれた何かの力と
その相手があるという
ベースを
忘れてはいけない。

生み出すことも変えることもできない
自分以外の存在と、
人生の中で大きな意味を持った
掛け替えのない相手との出逢いに対して
心の底から湧き上がってくる
敬意と感謝が、ここにある。

常に、いま
いまこの時 が
進み続ける中で
起こること。




タイミング

なんて、日本語にして訳そうか。

訳せない。




...ううん
「訳が、ありすぎる」。


裏側にあること
込められたもの
湧き上がるなにかを表そうとした
それが言葉なら
そもそも異なる言語を
ひとことで訳しあうこと自体
難しいのだろうし
含まれている多くの大切な意味が
取りこぼされてしまうのだろうな〜