吸学のしるし

吸学中の、大学4年生です。キャンパスで学ぶことを休んで、本物の世界から学びを吸いこもうと津屋崎にやってきました。感じるままに、記していきます。

二年前の二月二十二日





ひとが永遠を追いかけるうちは
自分の代わりを造って遺そうとするうちは
小さな無責任も
積み重なる差別も
虚しいだけの戦争も
繰り返される
哀しい出来事全部なくならないと思った

もし、解決する方法があるとすれば
それは対話だけなのではないかと
今のハタチの私は思う。

白黒つかないじゃないかとか
なにも解決できないと言う人もいるけど
すべての人が掲げるのは
その人にとっての善であって
それらに優劣つけることが
果たして意味のあることなのか
白黒つけなくては成り立たない世の中《お金も》にしてしまった過去の人の責任もあるけれど
それに流されて都合のいいように他人を傷つけ未来の人の借金を増やしている現在の人の責任のほうが大きくて
というより
変われるとすれば今しかなくて

ひとは自分以外の善を
悪とするのだから
その行為自体は
認めていいと思うから
だからこそ
それさえも認め合えば
争いはなくなるはずなのに

対話をするということは
違いを認めるということ

違いを認めるということは
自分以外の善を認めるということで

自分以外の善を認めるということは
自分自身を振り返って見つめ直して真の探求をするということで

対話というと
対他人みたいなイメージがあるけど

本当は自分が一番苦しくて
相手を傷つける可能性もあって

相手を認めて受け入れる
外部を否定せずに
その中で自分を自分として
成り立たせることは
確かに
怖いし力がいるし疲れるし何より勇気がいる

だけど、そろそろ、
ひとは、そのステージにいくべき時代なのではないか

本当に求められていることは
同じ世界を描くことではなく
そのために
統一することでも
強制することでも
導くことでもなく

それよりも遥かに
自分自身と向き合うことを余儀なくされ
答えは予想できなくて

そこから生まれるもに身を委ねて
そこから生まれるものに価値があるとする

きっと
他人を認めて
自分と全く違うひとを受け入れることのできる人は
自分のありのままを受け止めて
受け入れて
認められている人だとおもった

本当に強い人

まだまだ私に対話はできない

だけど、できるように
その場の空気を創り出せるように
これから頑張る

闇が現れて
初めて光に気づける
とよく言われるけど

何かと比べてではなく

闇が現れなくても、
そこに輝くものがあると
気づける感性を持ちたい。

だからこそ
闇を受け入れることを続ける

あと
人生は
過去は今は未来は
今日は
一瞬一瞬の選択の積み重ね

息をすることも選べるわけで

その選択を無意識にしてしまうことこそもったいないことかもしれない


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昨日、
津屋崎で近しい人たちと対話した
自分へ。