たしかめるように

たしかめるように。 絶望の淵に立ちなかを覗くと、そこには、当たり前のようにささやかな日常がありました。私は、世界にとって唯の細胞でありたい。

美しい味

 

愛してくれる人たちが作ったピーマンの共演。

 

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ミモザサラダは、優しくてまろやかな味だった。
味付けはとても簡素なのに
目立つのは苦さよりも... そうなのだ。

 

磨かれたように光る身体と古傷だらけの身体を
まずはひとかじり。
いや、控えめに、ふたかじりずつ
それぞれを口に運んでみる。

しゅっとして苦味がぎゅっとつまった彼と
ぷくっとして瑞々しくじゅわっとする彼女

 

ぜんぜん違う。

ぜんぜん違うけど、どちらとも
「ピーマンです!」
と誇らしげに自己紹介をしてくる。

 

おお、ピーマン... ピーマンね...!

 

わたしの中にある舌の存在が、大きくなった。
輪郭がなくなって上半身ぜんぶが舌になった。

そんな感じ。
変なの。
圧倒されながら生き生きしている感じ。

 

なんとも言えない愉しさで
ふたりの手の温もりを思い出す。
ふたりの手のひらを、思い出す。

 

ぜんぜん違うピーマンを作ったふたりの手は
なんだかちょっと、似ている。

 

 

ピーマン、トマト、キュウリがどどんと鎮座した
母曰く「農家さんの食卓」を前に曇り顔の妹が、
「ん、これ甘いよね?!」とトマトのお代わりを希望しながら言った。
心がこそばく、小さく跳ねた。

 

愛しい人が作った野菜が
愛しい人からそう言われている。

うれしい。

 

そして身体に吸い込まれ

明日の命を作ってくれる。

 

 

そんなこと。

 

特別なことでも、お洒落なことでも
何かを「丁寧にしています」なわけでも
そんな暮らしをしているわけでもない。

ただ淡々と、生臭く「命」を生きる日々。

 

平々凡々
平均的なただの主婦と
平均的なただの中学生と
平均にさえ届かずふらふらする大学生がいる
生活臭立ち込める
日本の、きっと、一般家庭。

 

大切ことはなぜ大切か

当たり前ってなぜ当たり前か

過去も今も

あそこも、ここも

いろんな世界で想像してみる。

 

どの世界でも

みんな、生きていた。

生き、命を繋ごうとしていた。

なにより

「命」を、知っていた。

 

死ぬことではなく

生きることでもなく

命を、知っていた。

 

 

長い1日がひとやすみする
おれんじいろの食卓を

わたしも、繋いでいきたい。

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